|
|||||||||||||||||
氷川神社(石戸) 創建年代等は不詳ながら、寛文13年(1673)の社殿造立の棟札が残されており、 江戸時代前期には石戸村の鎮守として祀られたのではないかといわれている。 本殿の軒には延享3年(1746)の絵馬がかかっている。 明治期になり、近郷の6社を合祀した。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
真福寺1 医王山光明院真福寺という天台宗のお寺。 創建年代等は不詳ながら、当寺の元三大師像は江戸期には崇敬を集め、 数多くの参詣客を集めた。 川田谷泉福寺の末。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
真福寺2 通称「石戸大師」と呼ばれ「日本三大厄除け開運大師」として有名。 正月三日にはだるま市でも有名。 本尊は不動明王立像で、慈覚大師の作と伝わる。 そのほ板石塔婆など多くの文化財が残る。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
真福寺3 仁王門の礎石には安永3年(1774)の陰刻銘があることから、 仁王門の仁王像は同時期に造られたものとみられる。 慈覚大師画像は江戸時代の寛保2年(1742)に輪王寺宮一品親王が 信仰していたものを寄贈されたものと伝えられている。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
多聞寺 宝塔山稲荷院多聞寺という真言宗のお寺。 文永年間(1264〜75)に多聞律師が開基したという。 万治元年(1658)に光宗法師が伽藍を再建して中興したという。 北本七福神の毘沙門天を祀る。 境内には樹齢約200年のムクロジの大木が立つ。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
天神社(本宿)1 元宿村の名主・岡野家が元宿村の鎮守・岡野家の氏神として、 寛文2年(1662)に京都北野天神社の分霊を勧請して創建した。 多聞寺が別当寺を勤めていた。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
天神社(本宿)2 祭神は学問の神・菅原道真を祀る。 奉納された算額は明治24年(1891)のもので市の文化財になっている。 このほか境内社も多く、古くから信仰を集めている。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
東間浅間神社1 創建年代は不詳ながら、崇徳天皇の御代、 武蔵国守大納言・藤原俊行が霊夢により、当社を創建したとも、 江戸時代初期に大島家の先祖・深井藤右衛門及び、長楽坊・大乗坊が勧請したもの、 また、鴻巣の勝願寺の和尚が当地に遷し祀ったものといわれている。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
東間浅間神社2 富士山の祭神・木花咲耶姫命を祀る。 富士山の山開きに合わせて行われる「初山参り」では 子どもたちの健やかな成長を願う参拝客で賑わう。 境内には小高い富士塚があり、その上に社殿が建つ。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
壽命院1 殿林山金蔵寺壽命院という真言宗智山派のお寺。 圓俊(文明年間(1469〜87寂)が持明院として創建。 深井六郎次郎景孝(金蔵院水理道居士)が中興。 徳川家康の関東入国の際、寺領10石の御朱印を拝領した。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
壽命院2 江戸時代には近郷に末寺・門徒寺を擁する本格寺院であった。 足立坂東観音霊場で、本尊は大日如来で、 観音堂には十一面観音が安置している。 このほか建長3年(1251)紀年銘の板石塔婆など中世の石造物が残る。 |
|||||||||||||||||
1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10.本庄4 11. 深谷2 12.深谷3 13.深谷4 14.深谷5 15.深谷6 16.深谷7 17.熊谷1(妻沼1) 18.熊谷2(妻沼2) 19.熊谷3 20.熊谷4 21. 熊谷5 22.熊谷6 23.熊谷7 24.熊谷8 25.熊谷9 26.行田1 27.行田2 28..羽生1 29.羽生2 30.加須1 31.加須2 32.加須3 33.加須4 34.加須5 35.鴻巣1 36.鴻巣2 37.鴻巣3 38.鴻巣4 39.北本1 40.北本2 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||